トゥルクメン人は部族による結束が強く、支配されることを好まない自由の民といった人々です。それゆえにロシアの支配の手が伸びてきたときの抵抗は激しく、数万人がロシアの近代兵器の前に犠牲になりました。特に犠牲者の多かったギョク・テペ要塞跡にはモスクが建造され、ソ連時代タブーとされていたその地への巡礼も盛んに行われています。

BC 40C 南部トゥルクメニアに農耕文化が興る
20C アムダリヤ川がカスピ海からアラル海に流れを変える
6C 現在のメルヴ周辺のオアシスに集落が築かれる
6C アケメネス朝ペルシャが現在のトゥルクメニスタン一帯を支配
4C アレクサンドロス大王がメルヴにアレクサンドリア・マルギアナを築く
4C アレクサンドロス大王の死後、家来のひとりがセレウコス朝シリアを興し、現在のトゥルクメニスタン一帯を支配
3C スキタイ系遊牧民がパルティア帝国(前248?~226年)を興し、ニサに首都を置く
AD 226 ササン朝ペルシャがパルティア帝国を滅ぼす
5C 匈奴の一派が中央アジアにエフタル(484~558年)を興す
558 ササン朝が(西)突厥と結び、エフタルを滅ぼす
651 アラブ軍、ササン朝ペルシャを滅ぼす。メルヴは反ウマイヤの中心地となる
9C メルヴが一時アッバース朝の首都となる
10C オグズ族(現在のトゥルクメン人)、アルタイ山脈周辺から南下
11C シルダリヤ川北部から南下したセルジューク朝(1038~1157年)が中央アジアを支配。メルヴを首都に
13C ホレズムシャー朝(996~1221年)が中央アジアを支配。モンゴル帝国と国境を接する
1219 チンギス・ハーンの西征始まる。2年後メルヴが攻撃され、壊滅
1258 チンギス・ハーンの孫フラグがイル・ハーン国(1258~1393年)建国
1393 ティムール、イル・ハーン国を滅ぼす
1502 サファヴィー朝ペルシャがティムール帝国を倒す
16C 現在のトゥルクメニスタン地方に政治的空白が生じる。トゥルクメン人は旅人やペルシャ北部の村を襲い、ヒヴァの奴隷市場の主要供給源となる
1869 カスピ海東岸(現在のトゥルクメンバシュ)に帝政ロシア軍の要塞が築かれる
1881 ギョク・テペの要塞を帝政ロシア軍が攻撃。2万人のテッケ族が殺される
1881 トランス・カスピ鉄道の建設が始まる
1884 帝政ロシア軍、メルヴを占領。アフガニスタンを狙う英国との緊張が高まる
1918 トルキスタン・ソビエト社会主義自治共和国成立。トゥルクメニスタンはその1州に
1924 トゥルクメン・ソビエト社会主義共和国成立。集団化を嫌った遊牧民によるゲリラ活動が1930年代まで続く
1954 カラクム運河の建造始まる
1991 ソ連解体。トゥルクメニスタンが独立

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