ポール・セザンヌ 画家
ポール・セザンヌ Cézanne, Paul 1839~1906 フランスの画家。
父は銀行家。法科大学に入ったが、しだいに絵に熱中。美術学校入試に失敗、一時銀行につとめる。ドラクロア・クールベ・マネ等の絵に啓発される。1870普仏戦争には徴兵を忌避、マルセイユの近くに隠れ住む。まもなく印象派を離れ、対象の構造的本質を追求し独自の画風を開拓(後期印象派)。’86同郷で中学以来の友人ゾラの小説「制作」に傷つけられ不和となる。しだいに名声を得、のちのキュービズム等への影響が大きい。67歳の時戸外で制作中、嵐に打たれて人事不省となり、1週間後に死去。風景・静物・人物画に傑作多数を残す。(作)「赤いチョッキの少年」1890~95、「水浴」の連作。
エミール・ゾラ 作家
エミール・ゾラ Zola, Émile 1840~1902 フランスの作家。
父はイタリア人。7歳で父を失って窮乏し、パリに出て生活苦のなかで転々とする。テーヌの影響をうけ、バルザック・フローベール・ゴンクール等に刺激され、1868最初の自然主義小説「テレーズ・ラカン」を書く。’71~’93「第2帝政時代における一家族の自然的社会的歴史」という副題つきの大作「ルーゴン・マッカール双書」(「居酒屋」「ナナ」等を含む全20巻)を完成。その間、C.ベルナールの「実験医学序説」を適用した「実験小説論」(’80)を著わす。その後しだいに理想主義的・社会主義的色彩を強め、ドレフェス事件の際、「われ弾劾す」(’98)を新聞紙上に発表、一時イギリスに亡命、あくまでドレフェス弁護のために闘った。一酸化炭素中毒で死去。著作:3部作「3都市」1894~98、4部作「4福音書」(未完)’99~1903。
クリスチャン・ディオール 服飾デザイナー
クリスチャン・ディオール Dior, Christian Ernest 1905~57 フランスの服飾デザイナー。
ノルマンディー生れ。行政学院中退。生活のため画商となる。1935デザイナーに転向、バレエの衣装・装置も手がけたが、’46独立して店をもち、いわゆるアルファベット(H・Y・A)ライン等の新鮮な作品を次々に発表、第2次大戦後の世界のファッション界をリード。’54来日。心臓病発作のためイタリアで急死。
エドガー・ドガ 画家
エドガー・ドガ Degras, Edgar 本名 Hilaire Germain Edgar de Gas 1834~1917 フランスの画家。
パリ生れ。父は銀行家。一時法律を学んだが、1855美術学校入学。初めアングルに傾倒、’62マネを知り、印象派画家たちと交わる。’70普仏戦争に従軍。’74第1回印象派展に参加(「ダンス教室」)、この頃から踊り子・キャバレーの芸人・働く女性等の市井の人物や情景を題材とし、動作を瞬間的に鋭くとらえて描く独自の画境を示す。印象派展にはその後ほとんど毎回出品したが、その主流ではない。あらゆる材料を駆使しての素描はとくに卓越。’85頃から視力が減退し、石版画・パステル画等を多く手がけたが、’98頃は極度に悪化、記憶の中の踊り子や馬を手探りで彫刻、孤独のうちにパリで死ぬ。
シャルル・ド・ゴール 軍人・政治家
シャルル・ド・ゴール De Gaulle, Charles André Joseph Marie 1890~1970 フランスの軍人・政治家。
1912士官学校卒業後、第1次大戦に従軍。’19ポーランドでの対ソ反革命戦争に参加。戦術理論家として軍の機械化を訴えて反響を呼ぶ。’37大佐、第2次大戦では第4装甲師団を率いてドイツの侵入阻止に努力。’40陸軍次官。休戦に反対しロンドンに逃れ、<自由フランス政府>の名でBBC放送を通じてレジスタンスを呼びかけ、’41フランス国民委員会(NCF)を結成、’43アルジェで国民解放フランス委員会(CFLN)委員長、’44自由フランス軍を率いてパリ入城、臨時政府議長、’45~’46首相。’47フランス国民連合(RPF)を結成し議会に進出。’58<挙国一致内閣>首相。憲法を改正し第5共和国初代大統領、アルジェリア問題の解決にあたる。独裁的権限を基盤にして<ド・ゴール体制>をつくり、北大西洋条約機構(NATO)の軍事機構からの離脱、ヨーロッパ経済共同体(EEC)結成・核保有・中華人民共和国承認等フランスの国際的地位強化を追求したが、保守的な国内経済政策は国民の不満を買い、’68年5月学生運動を契機に労働運動の高揚を促した。総選挙に勝利し危機を切り抜けたが、’69<地方制度と上院の改革>案の国民投票に敗れ退陣。著作:「フランスと陸軍」1938、「回顧録」’54~’59。