アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック画家

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックHenri Marie Raymond de Toulouse- 1986~1901 フランスの画家。
父はアルフォンス伯。1878、’79の2度の自己で両足を骨折、発育は停止する(慎重140cm)。以後絵画に没頭、動物(馬)を描く。’82パリに出てL.J.F.ボナ・コルモンのアトリエで学び、ゴッホ・ドガと知り合う。’86以後モンマルトルに住み、サーカス・キャバレー・劇場に通い、人々の生活を厳しい写実でデッサンし、油彩で描いた。印象主義に影響されたが、光よりもフォルムと動きに関心を集中。’91から石版画・ポスター(「ムーラン・ルージュ」)を制作。’99アルコール中毒で入院、健康悪化して母親のもので死去。(作)「ムーラン-ド-ラ-ギャレット」1888、「黒毛皮の女」’92、「イヴェット-ジルベール」’94。

マリー・ローランサン画家

マリー・ローランサン Laurencin, Marie 1885~1956 フランスの女流画家。
パリ生まれ。アカデミーアンベールで学ぶ。初めてのローレック・マネの影響をうけ、のちG.ブラック・ピカソらのキュービズニに加わったこともあるが、単純で叙情的な表現とは淡い優雅な色調で、様式化された独特の画風を形成。「2人の少女」「マンドリンを弾く女」等が代表的作品。

オーギュスト・ロダン彫刻家

オーギュスト・ロダン Rodin ,François Auguste René 1840~1917 フランスの彫刻家。
パリ生まれ。父は小役人。1854プティーテコール(のちの装飾美術学校)入学。’57から3回美術学校入試に失敗。’61以降内職で自活、夜は制作。’62一時僧院に入る。’64最初の傑作「鼻のつぶれた男」がサロンで落選。’70普仏戦争で召集をうけたが、病弱で除隊。以後7年間ベルギーで過ごす。その間’75イタリア旅行、ドナテロ・ミケランジェロの作品に感銘。’77「青銅時代」をサロンに出品、一躍有名となるが、生きたモデルから型取りしたと疑われる。’80「地獄の門」に着手。以後鋭い写実から人間の内面性を追及、’80「考える人」、’90「カレーの市民」等を経てロダン彫刻の頂点を示す’97「バルザック像」に到達する。1864年に知り合い、モデルとなってくれたお針子ローズと正式に結婚。(1917)まもなく2人とも死亡。19世紀最大の彫刻家とされる。

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