1. ウィンストン・チャーチル 政治家、第二次世界大戦時の英国首相

チャーチル Churchill, Sir Winston Leonard Spencer 1874~1965 イギリスの政治家。
政治家ランドルフ・チャーチル卿(Lord Randolph Henry Spencer-Churchill)の長子。1895陸軍士官学校卒業後入隊。’98インドに出征。’99「モーニング-ポスト」紙記者として南ア戦争に従軍。1900保守党下院議員。保護関税政策に反対して’04自由党に移り、’06以後商相・内相・殖民相を歴任。’11海相。第1次大戦に際して’15ダーダネルス攻撃に失敗して辞任。戦後の労働党進出、自由党後退に伴い、反社会主義の立場から保守党に復帰。蔵相として’25金本位制を復活。’29以降野にあって、A.N.チェンバレンの対独宥和政策を批判。第2次大戦勃発により、’39海相、’40首相。強力な統率力で国民を指導、F.D.ルーズヴェルト・スターリンとともに勝利に導き、戦時期政治家としての最大の能力を示した。戦後は国際政治の両極化を感知、反ソヴィエトの先頭に立つ。’46フルトンで<鉄のカーテン>演説を行ない、欧州統合を提唱。’51首相、’55イーデンに党首を譲り引退。多面的才能に恵まれ、’53「第2次大戦回顧録」6巻(’48~’53)でノーベル文学賞受賞。風景画家でもあった。(著)「ランドルフ-チャーチル伝」1906、「我が半生」’30、「マールバラ公爵伝」(4巻)’33~’38。

2. イザムバード・キングダム・ブルネル グレート・ウェスタン鉄道の創設者

ブルーネル Brunel, Sir Marc Isambard 1769~1849 イギリスの技術者。
フランス生れ。アメリカで建築家として働くが、1799渡英、1843テムズ川河底トンネルを完成した。

4. チャールズ・ダーウィン 進化論の提唱者、『種の起源』の著者

ダーウィン Darwin, Charles Robert 1809~82 イギリスの生物学者。
1825エディンバラ大で医学を学んだが、’28ケンブリッジ大神学部へ転学、しかし博物学に興味をもつ。卒業後’31海軍の観測船ビーグル号に乗り、ブラジル・ペルー・ガラパゴス諸島・ニュージーランド・オーストラリア等を回り、動植物や地質の調査を行なう。また、育種動植物の変異の観察等から生物進化の確信をもつに至り、’41ケント州ダウンにこもって資料を整理、進化論に関する大著の執筆をはじめた。完成しないうちに、’58 A.R.ウォーレスから同趣旨の論文が送られ、驚いた彼はリンネ学会総会にウォーレスの論文とともに発表。論文は’59「種の起源」(第6版’72)として刊行された。この進化思想および自然淘汰説はT.H.ハクスリーらの協力により広く普及、大きな影響力をもった。(著)「ビーグル号航海記」1839、「家畜と栽培植物の変異」’68、「人間の由来」’71、「人間と動物の表情」’72、「自伝」’76、「ミミズの作用による栽培土壌の形成」’80、「植物の運動力」’80。

5. ウィリアム・シェイクスピア 詩人劇作家

シェークスピア Shakespeare, William 1564~1616 イギリスの劇作家・詩人。
ストラトフォードに生れる。1582、8歳年上のアン-ハサウェーと結婚。’85故郷を去り、翌年ロンドンの劇団に加わり、木戸番からさらに自ら舞台にも立ち、’90頃から劇作をはじめる。初期は’91~’92「ヘンリー6世」、’92~’93「リチャード3世」等の史劇や、’93~’94「じゃじゃ馬ならし」、’95「真夏の夜の夢」等の喜劇を書く。その後’94~’95「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」を経て、フォールスタフの登場する「ヘンリー4世」や、「お気に召すまま」「ジュリアス-シーザー」等で、円熟味を増した。17世紀に入ると、彼の目は悲劇に向けられ、「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」の4大悲劇を生む。後期の作品には「シンベリン」「冬物語」「嵐」等のロマンス劇がある。また詩では、154編からなる「ソネット集」を書いている。1611突然筆を折り故郷に引退、豊かな財産で自適の晩年を送った。

6. アイザック・ニュートン 物理学者、数学者、天文学者

ニュートン Newton, Sir Isaac 1642~1727 イギリスの物理学者・数学者・天文学者。
ウールズソープに生れる。1661~64ケンブリッジ大トリニティ-カレッジに学び、数学者I.バローの教えをうけ、ケプラー・デカルト・ウォリスらの書を読む。’65ロンドンのペスト大流行で一時帰郷の際、思索と実験により、その後の業績の大部分の着想を得たとされる。’67ケンブリッジに帰ってフェローに選ばれ、’69ケンブリッジ大数学科のルカス教授職に就任(~1701)。業績は3つに大別できる。1)光学研究―早くから光の分散について実験、また反射望遠鏡を製作(1668)、ケンブリッジでも初め光学を講義(没後「光学講義」(1728)として出版)、1672国王への望遠鏡献上を機にロイヤル-ソサエティ会員に推挙され、同年「光と色の新理論」を書いてR.フックと論争、その過程でニュートン環を発見、光の本性を論じた「光学」(1704)を著わした。2)数学研究―2項定理の研究(1665)から無限級数に進み、’65流率法(微積分法)を発見。3)力学・天文学研究―1687大著「プリンキピア」(自然哲学の数学的原理)を著わし、流率法・力学原理・万有引力の法則・太陽系の惑星の運動・潮汐理論等を体系的に述べた。その後、錬金術や神学の研究も行なった。’88大学代表の国会議員に選ばれ、’94造幣局監事、’99同長官になり貨幣改鋳に尽力。1703ロイヤル-ソサエティ会長。生涯結婚せず、ウェストミンスター寺院に葬られた。

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