12. ジェームズ・クック 探検家
クック Cook, James 通称 Captain Cook 1728~79 イギリスの探検家・軍人。
7年戦争に従軍、1764~67水路測量官としてニューファンドランド・ラブラドル沿岸を踏査。その後3回にわたる大航海を行ない、太平洋海域の未知の部分を明らかにした。第1回は’68~’71エンデーヴァ号で西まわりに世界周航、ソシエテ諸島を発見、ニュージーランド・ニューギニアが独立島であることを確認、オーストラリアの領有宣言を行なう。第2回は’72~’75レゾリューション・アドヴェンチュア両号で高緯度を東まわりで周航、南緯71º10´に達す。第3回は’76~’80に北太平洋方面を探り、クック・クリスマス・ハワイの諸島を発見、ベーリング海峡を越えて北緯70˚30´まで行き、再びハワイに帰ったところ原住民に殺された。残る隊員はなお探検を続け、’80帰国。
14. アルフレッド大王、ウェセックス王
アルフレッド大王 Alfred the Great 849~99 イングランド王、在位871~91。
9世紀中頃からの数次のデーン人大軍団の圧迫の下に、兄のアゼルレッド王とともによく戦い、ウェセックスの独立を維持。878には一時手勢を率いてセルウッドの西に逃れる窮地に陥るが、’86ロンドンを回復、デーン人の征服下にない全イギリス人の臣従を得る。その後も死に至るまで、北部イングランドのデーン軍との戦いを続けた。この間海軍を創設し、軍および行政の組織を改革、諸法典を集大成し、ノルマン征服以前の最大の王と称せられる。また学問・教育に熱意を示し、彼自身グレゴリウス大教皇の「牧師の配慮」、オロシウスの「世界史」等、数点のラテン書を英語に翻訳、英語散文の表現能力の向上に貢献した。
15. 初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー 英国首相
ウェリントン Wellington, Arthur Wellesley, 1st Duke of 1769~1852 イギリスの軍人・政治家。
若干の軍務を経て、1797インドに転戦。1807~09トーリー党議員。’07アイルランド事務相、対ナポレオン戦争に指揮官として勝利をおさめる。’15ウィーン会議主席全権大使。同年8月再起したナポレオン1世を、ワーテルローで再び破り、そのままフランス占領軍最高司令官。’28首相となり、’29カトリック解放令を成立させた。’30辞任。’42から陸軍総司令官、’48チャーチストの運動を武力で弾圧した。
16. マーガレット・サッチャー 英国首相
サッチャー Thatcher, Rt. Hon. Margaret Hilda 1925~2013 イギリスの政治家。
オックスフォード大で化学を学んだのち、1953弁護士資格を得る。’59保守党から下院議員に初当選し、’70~’74教育相。’75ヒースに代わって保守党党首。’79総選挙に勝ち、イギリス史上初の女性首相となる。’82フォークランド紛争で強硬路線をとり、アルゼンチン軍を破った。その政治姿勢は、保守党内でも右寄りとされ、<鉄の女>の異名をとり、’90辞任するまで長く首相の座にあった。その後、バッキンガム大総長に就任。
18. ヴィクトリア (イギリス女王)
ヴィクトリア Victoria, Alexandrina 1819~1901 イギリスの女王、在位1837~1901。
ジョージ3世の4男ケント公の娘。1837伯父ウィリアム4世の死により18歳で即位。ときの首相メルバーンから立憲君主としての教育をうける。’40アルバート公と結婚。その清純な家庭生活は、国民敬愛の中心となる。’61夫の死後寡婦として過ごし、同時に隠遁生活に入ったが、国民の不満を招く。ディズレーリの登場後、その帝国主義政策に共鳴し再び政務をとる。’76インド皇帝を兼任。グラッドストーンの自由主義的政策には嫌悪を示したが、<君臨すれども統治せず>の立憲君主の原則を守る。1901の死まで、イギリス帝国の最も光栄ある時代の象徴として、歴代君主中、最長の治世を続けた。