フランソワーズ・サガン 作家

フランソワーズ・サガン Sagan, Françoise本名 Françoise Quoirez 1935~ フランスの女流作家。
富裕な実業家の娘。1953パリ大教養課程修了試験に失敗、処女作「悲しみよ、こんにちは」(’54)を書き、一躍ベストセラーとなり世界的に有名となる。一貫して伝統的な心理小説の手法で、第2次大戦後の青春像を描く。著作:「ある微笑」1956、「ブラームスはお好き」’59、「スウェーデンの城」’60、「すばらしい雲」’61、他に戯曲・バレエ台本等。

エリック・サティ 作曲家

エリック・サティ Satie, Erik 1866~1925 フランスの作曲家。
パリ音楽院に入ったがアカデミズムを嫌ってカフェのピアニストをしながら、大胆な着想と奇抜な表題の作品を発表。39歳で改めてスコラ・カントルムに入学、作曲技法を学ぶ。晩年はコクトーやピカソと協力したバレエ。ダダイストの劇等に作曲。音楽は家具のようなものであるべきだという考えに到達。第1次大戦後の反ロマン主義芸術に多大の影響を残す。<フランス6人組>は彼を指導者として生まれた。

マルキ・ド・サド 軍人・作家

マルキ・ド・サド Sade, Donatien Alphonse François de 通称Marquis de Sade(サド侯爵)1740~1814 フランスの軍人・作家。
7年戦争に従軍。放蕩・醜行・投獄・脱走をくり返す。人々を苦しめて悪魔的な喜びを覚える性的倒錯者を描いたが、彼自身変態的加虐症<サディズム>の持ち主といわれ、ナポレオンにより狂人としてシャトラントンの養育院に監禁され、そこで死ぬ。現代文学への影響が大きい。著作:「ジャスティーヌ、あるいは美徳の不幸」1791、「ジュリエット、あるいは悪徳の栄え」’97。

ジャン=ポール・サルトル 哲学者・作家・批評家

ジャン=ポール・サルトル Sartre, Jean-Paul 1905~80フランスの哲学者・作家・批評家。
エコール・ノルマル哲学科卒業後、高校の哲学教師となる。ドイツに留学してハイデッガーに哲学を学ぶ。1938小説「嘔吐」で認められる。第2次大戦中、召集されて捕虜となるが脱走、レジスタンス運動に参加、哲学論文「存在と無」(’43)、戯曲「蝿」(’43)等を発表。戦後「現代(レータン・モデルヌ)」誌を創刊、講演「実在主義はヒューマニズムか?」(’46)等で実在主義思想家として世界にその名を知られた。その後も、多彩な創作活動だけでなく、文学者の<政治参加>を主張、精力的な実践活動を続けた。’50以後しだいに共産主義に接近したが、実在主義の基本的立場は変わっていない。’64ノーベル文学賞受賞を拒否、大きな反響を呼ぶ。’66にはボーヴォワール同伴で来日。’75視力の衰えから作家を廃業。著作:小説「壁」1938、「自由への道」(未完)’45~’49、戯曲「閉ざされた部屋」’45、「墓場なき死者」’46、「汚れた手」’48、「悪魔と神」’51、哲学論文「弁証法的理性批判」’60。

カミーユ・サン=サーンス 作曲家

カミーユ・サン=サーンス Saint-Saëns, Charles Camille 1835~1921 フランスの作曲家。
幼児からピアノ・作曲に楽才を示し、5歳で作曲をはじめ、10歳でピアノの公開演奏を行う。1848パリ大学院入学、’58~’77パリのサン・マドレーヌ教会のオルガニスト。ヴァーグナーを崇拝し、普仏戦争後、フランス音楽芸術の復興をめざして、’71<国民音楽協会>を設立、オペラとともに純器楽作品を発表して、近代フランス音楽への道を開く。晩年はアメリカをはじめ、北アフリカ・東南アジアにも旅行し、イスラム系音楽等を用いたオリエンタリズムの作品も残す。(作)オペラ「サムソンとでリラ」1877、3曲の交響曲、交響詩「死の舞踏」’74、「アルジェリア組曲」’79、組曲「動物の謝肉祭」’86、5曲のピアノ協奏曲、3曲のバイオリン協奏曲、2曲のチェロ協奏曲。

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