シャルル・ボードレール 画家

シャルル・ボードレール Baudelaire, Charles Pierre 1821~67 フランスの詩人。パリ生れ。誕生時、父(政治家)は62歳、母は28歳。6歳で父を失い、母は軍人と再婚。義父と合わず、18歳で家を出て放縦な生活に入る。両親の命でインド航路の船員となったが途中でパリに戻る。1842成年に達し亡父の遺産を相続、放漫な生活の中でアヘンを常用し、黒人との混血女性ジャンヌ・デュヴァルと同棲。’45「サロン」(美術批評)で文壇に出、’48、2月革命では社会主義に共鳴、新聞を発刊。この頃からポーに系統、その作品を翻訳。’57唯一の詩集であり、<悪から美を抽き出し新しい戦慄を創造>とユゴーが評した「悪の華」を出版、近代の憂愁と孤独を新しい手法でうたい、のちの象徴主義への道をひらいた。同書は風俗壊乱で罰金刑と一部削除となった(1949取消し)。’66ベルギー美術講演旅行で倒れ、右半身不随・脳軟化症・失語症となり、翌年パリの慈善病院で死去。著作」散文詩集「パリの憂愁」1864、評論「審美渉猟」’69、日記「赤裸の心」

エドゥアール・マネ 画家

エドゥアール・マネ Manet, Edouard 1832~83 フランスの画家。
父は司法長官、叔父は美術鑑定家。1848見習い水夫となり、航海中デッサンに熱中。’50クーチュールに師事。ハルス・グレコ・ゴヤ・ベラスケスに影響される。’63<落選展>に出品の「草上の食事」、’65サロン出品の「オランピア」は、風紀上厳しい非難をうけたが、カフェ・ゲルボアに集まる青年画家グループ(C.ピサロ・モネ・シスレー・ドガ等)のリーダーとなる。’70普仏戦争の際はパリ国民防衛軍に参加。’74第一回印象派展には参加を拒絶したが、都会的な洗練された感覚と明るい色調で印象派の中心的存在となる。晩年歩行困難となり壊疽で左足を切断し死去。

ソフィー・マルソー 俳優・演出家

ソフィー・マルソー Marceau, Marcel 本名 Marcel Mangel 1923~ フランスのパントマイム俳優・演出家。
C.チョランやE.ドクルーに指導をうけたが、1947独立してパントマイム劇団をつくり、世界各国を巡業、2度来日。代表作「夜明け前の死」(’47)、「モンマルトルのピエロ」(’52)、「パリ祭」(’56)等のほか、道化のビップ(Bip)という現代のピエロ像を創造。第2次世界大戦中はユダヤ人の子供たちをフランスからスイスへ逃がす地下活動も行った。

ジャン=フランソワ・ミレー 画家

ジャン=フランソワ・ミレー Millet, Jean-François 1814~75 フランスの画家。
ノルマンディーのグリュシー村の農家の生れ。8人兄弟の長男。1837パリに出てP.ドラロシュに師事。ドーミエに影響され、’43「乳入れを運ぶ女」、’48「箕をふるう人」以降貧窮と闘いながら農民画家としての道を追求、’50「種まく人」で社会主義的と非難される。’49パリ郊外バルビゾンに移住、コロー・テオドール=ルソーらと交わり、<バルビゾン派>を形成。終生そこにとどまった。敬虔で素朴な文学的な味わいをもつ画風は世界で広く愛好されたている。(作)「落穂拾い」1857、「晩鐘」 ’59。

ギ・ド・モーパッサン 作家

ギ・ド・モーパッサン Maupassant, Henri René Albert Guy de 1850~93 フランスの作家。
ノルマンディー生れ。12歳のとき父母が別居し、母と暮らす。1870普仏戦争に従軍、パリで10年間海軍省・文部省に勤務。その間、母の兄の親友フローベールに師事、’80ゾラの主宰する普仏戦争を扱った短編小説集「メダンの夕べ」に「脂肪の塊」を発表、一躍有名となる。その後10年間に’81「メゾン-テリエ」、’82「フィフィ嬢」、’87「ル-オルラ」等18冊の単行本におさめられた270編の短編小説、’83「女の一生」、’83「ベラミ」、’88「ピエールとジャン」、’89「死のごとく強し」等の6長編,’88「水の上」等3冊の紀行文、その他を発表、自然主義文学の代表的作家となる。しかし、’84以来の神経系疾患と過労のため、’ 92年1月カンヌで発狂して自殺をはかり、パリの精神病院に入院、翌年そこで死亡。生涯独身。

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