ギュスターヴ・モロー 画家

ギュスターヴ・モロー Moreau, Gustave 1826~98 フランスの画家。
父は建築家。1846パリの美術学校に学び、F.ピコに師事、シャセリオと親交を結ぶ。神話・聖書、その他東洋の神秘的な題材を好んでとりあげ、代表作「サメロ」(1876)にみられるように宝石をちりばめたような細密・精緻な画風が特徴。’92~’98美術学校教授、自己の作風にとらわれない寛大で自由な教育で、マティス・ルオー・マルケ等の俊才を送り出した。作品7000点を国家に寄付、モロー美術館となる。

ジャンヌ・モロー 女優

ジャンヌ・モロー Moreau, Jeanne 1928~ フランスの女優。
コンセルヴァトワールで学び、1948舞台でデビュー。同年映画にも出演し、’57「死刑台のエレベーター」、’58「恋人たち」でスターになる。「突然炎のごとく」(’61)、「エヴァの匂い」(’62)、「小間使の日記」(’63)等の作品で、完納と知性を兼ね備えた不思議な個性をもつ女優として、フランス映画を代表する存在となる。「リュミエール」(’75)、「思春期」(’79)等の監督作品もある。

クロード・モネ 画家

クロード・モネMonet, Claude 1840~1926 フランスの画家。
父は商人。1858ブーダンに認められ、ルアーヴルで戸外制作。’59パリに出て、アカデミー-スイスで学び、C.ピサロを知る。アルジェリアで兵役につくが病気で退役。パリでマネ・P.A.ルノアール・セザンヌらと交友。’70普仏戦争でロンドンに避難、J.M.W.ターナー・コンスタブルに感銘をうける。’74ナダル写真館での第1回〈匿名家協会展〉出品の「印象・日の出」が〈印象派〉の語源となる。以後、フォルムよりも外光に変化する光と色を追及、印象派最大の風景画家と称された、晩年は視力の衰弱と戦いながら「水蓮」の連作、オランジュリーの壁画制作を続けた。

モリエール 俳優・喜劇作家

モリエール Molière 本名Jean Baptiste Poquelin 1622~73 フランスの俳優・喜劇作家。
フランス古典喜劇の確立者。パリ生れ。裕福な王室御用の室内装飾商の長男。1641頃から唯物論者ガッサンディに学び、ついでオルレアン大で法学士となるが、女優マドレーヌ-ベジャールと恋愛、彼女の兄弟らと〈盛名劇団(リリュストル-テアトル)〉を結成、モリエールの芸名の名を名のる。まもなく劇団は破産し、負債のため’45投獄され、その後10余年旅回り。’58パリに戻り、ルーブル宮のルイ14世の御前公演で大成功、以後プティ-ブルボン劇場に出演を許可され、翌年の「才女気取り」の大成功で名声を確立。’60パレ-ロワイヤル劇場に本拠を移し、’62「女房学校」、’64「タルチェフ」、’65「ドン-ジュアン」、’66「人間嫌い」、’68「守銭奴」、’72「女学者」等の風俗喜劇・性格喜劇の傑作や笑劇「スカパン」(’72)等を次々発表。この間20歳年下のアルマンド-ベジャール(先妻マドレーヌの妹、あるいは娘)と結婚。(’62),その浮気に終生悩まされる。’73「気の病む男」に出演中舞台で血をはいて倒れた。

イヴ・モンタン 歌手・俳優

イヴ・モンタン Montand, Yves 1921~91 フランスのシャンソン歌手・俳優。
イタリア生れ。1923一家はマルセイユに移住。’39歌手になる。’44 E.ピアフに認められ、「枯葉」「セシボン」「兵隊が戦争に行く時」等で人気を得る。映画「恐怖の報酬」(’52)、「サレムの魔女」(’56)、「戦争は終わった」(’66)、「戒厳令」(’73)、「潮騒」(’74)等に出演。’61映画「青い目の喋々さん」のロケで初来日、以後度々来日。

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