ヴィクトル・ユーゴー 詩人・作家・劇作家

ヴィクトル・ユーゴー Hugo, Victor Marie 1802~85 フランスの詩人・作家・劇作家。
ブザンソン生れ。父は軍人。1819の詩才をシャトーブリアンに認められ、’22処女詩集「オードと雑詠集」を発表。以来文筆に専念。’27戯曲「クロムウェル」とその序文の「ロマン主義の宣言」によってロマン主義運動の中心的存在となり、〈セナークル〉を結成、’30上演した戯曲「エルナニ」で古典派との間に〈エルナニ事件〉が起こったが、この戦いに勝って劇壇もロマン派が制覇。7月王政成立後、’31長編歴史小説「ノートルダム-ド-パリ」を発表、この頃から次第に政治・社会への関心を深め、保守的・王党派的傾向から自由主義的・共和主義的傾向へと変わる。’43上演の「ビュルグラーヴ」の失敗と最愛の娘の水死の打撃で以後10年間絶筆。’48の2月革命後左翼民主党幹部、’51ナポレオン3世のクーデターに反対して国外追放となり、19年間逃亡生活を送る。その間、’53「懲罰詩集」、’56「静観詩集」、’62「レ-ミゼラブル」, ’66「海の労働者」、叙事詩「諸世紀の伝説」(’59, ’77, ’83)を書く。’71普仏戦争で帝政崩壊により帰国、’72最後の小説「93年」を書いた。代議士・上院議員となり、国民的文学者として尊敬された。その死は国葬となった。著作:詩集「東方詩集」1829、戯曲「リュイ-プラス」’38。

モーリス・ユトリロ 画家

モーリス・ユトリロ Utrillo, Maurice 1883~1955 フランスの画家。
パリのモンマルトルに生まれる。母はシュザンヌ-ヴァランドン(画家)、父もアルコール中毒の無名の画家で、離別。スペイン人ミグエル-ユトリロが自分の子として認知し、ユトリロ姓となる。少年の頃からの飲酒癖が絶えず、療養所や警察の厄介と20歳頃アルコール中毒の療養中、母と医者のすすめで絵を描きはじめ、独自の天分を発揮、モンマルトル一帯の風景画に独特の詩情をただよわせている。絵葉書からの写しも多い。晩年は廃人同様の生活を送った。

アルチュール・ランボー 詩人

アルチュール・ランボー Rimbaud, Jean Nicolas Arthur 1854~91 フランスの詩人。
印象派の代表的詩人。詩作したのは15~20歳頃の間で、生前はほとんど無名に近く、死後、20世紀の詩人・作家に与えた影響が大きい。ベルギー国境近くのシャルルヴィルに生れる。父は軍人。15歳頃から高踏派の手法で詩作(1870~71「詩集」)、’71パリに出てヴェルレーヌに会い’73まで家庭を捨てたヴェルレーヌと共同生活をし、イギリス、ベルギーを放浪。’73年7月10日のヴェルレーヌのランボー狙撃事件のスキャンダルによって別れる。それと前後して’73散文詩集「地獄の季節」を完成、ついで同じく「飾絵(イリュミナシオン)」(’74~’75)を描いたが、その後文筆を絶ち、語学を習得しながら、ヨーロッパ各地からジャワ・エジプト・キプロス島・アラビア等を放浪、宝石商等、種々の職業につき、’91の右膝疾患のため、マルセイユの病院に送還され、そこで死亡。 著作:長詩「酔いどれ船」1871。

アンリ・ルソー 画家

アンリ・ルソーRousseau, Henri Julien Félix 通称 le Douanier(税官史) 1844~1910 フランスの画家。
窃盗罪で禁固刑のあと1861~67メキシコ戦争に志願。’70普仏戦争にも従軍。その後パリ市税官につとめ、そのかたわら’80頃から絵を描きはじめ、’86以降毎年アンデパンダンに出品。強烈な色彩で、素朴で詩情にみちた幻想的な独創的な世界を描き続けた。退職後は音楽塾も経営、脚本も書いたが、54歳の未亡人との恋愛に破れ、悲嘆のうちに死んだという。(作)「眠れるボヘミアン女」1897、「蛇つかい」1907、「ジャガーにおそわれた黒人」’10頃。

ジャン=ジャック・ルソー 哲学者・作家

ジャン=ジャック・ルソー Rousseau, Jean-Jacques 1712~78 フランスの哲学者・作家。
スイスの時計職人の子。家庭に恵まれず16歳でジュネーヴを出て、ヨーロッパ各地を放浪、アヌシーでヴァランス婦人を知り、婦人のもとで独学。1741パリに出てディドロら百科全書派と交わり、作曲家として社交界に入る。下宿の洗濯女テレーズ-ル-ヴァスールと同棲、5人の子供を育児院の戸口に捨てる。’49ディジョンのアカデミーの懸賞当選論文「学問芸術論」を発表、文明の進歩に対する否定的見地から自然状態への復帰を説いた。’62「エミール」のなかで〈自然のままの人間〉を原理的に基礎づけ、さらに’62「社会契約論」において人民主権に基づく共和制を主張、フランス啓蒙思想のわくを脱し、フランス革命に大きな影響を与えた。これらの著作により、カトリック教会から迫害をうけ、フランス政府の逮捕令が出るに及んでフランスを脱出、スイス・プロイセン・イギリス等を転々とし、晩年パリに戻り、告白文学の傑作「告白録」(’89)を著わした。著作:「人間不平等起源論」1753、「ダラン・ベールへの手紙」’58、「新エロイーズ」’59、「言語起源論」’61、「孤独な散歩者の夢想」’78。

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