ヨハネス・グーテンベルク 発明家

ヨハネス・グーテンベルク Gutenberg, Johannes Gensfleisch 1400頃~68
ドイツの活版印刷の発明者。
マインツで出資者ヨハン・フスト*とともに印刷所を設立。鋳造したゴシック体活字で、「グーテンベルグの聖書」とよばれるラテン語訳聖書を印刷。のち、さらに活字を小さくして第2回目の聖書を印刷(1453頃)。この活字は小さくされて贖宥符の印刷に用いられた。しかし、1455事業は破産、出資者フストに債権の担保として権利を譲り、フストは別に印刷所を設立。グーテンベルグは、のちコンラート・フメリーの援助をえて印刷業を再建 (’68頃)。晩年はマインツの大司教アドルフ2世の援助を得て生活の安定をみた。彼の発明は宗教改革時代のパンフレットの印刷。科学書の出版等、知識の普及拡大に大きな役割を果たした。

グリム Grimm, Jacob

グリム兄弟 グリムGrimm, Jacob 1785~1863 ドイツの言語学者・文献学者。
弟とともにゲルマン神話・民間伝承の集成・研究家としても知られる。1830~37ゲッティンゲン大の司書および教授。’41プロイセンのフリードリッヒ・ヴィルヘルム4世*に招かれベルリンに移る。ゲルマン語の音韻変化を歴史的に研究。子音の変移の法則性を明らかにし、<グリムの法則>を確立。兄弟で協力して「グリム童話」(’12~’15)、「ドイツ語辞典」16巻(’52~1943)を編集。著作:「ドイツ文法」1819~37。「ドイツ古代法」’28、「ドイツ語史」(2巻)’48。

グリム Grimm, Wilhelem

グリム兄弟 グリムGrimm, Wilhelem 1786~1859 ドイツの言語学者・ゲルマン民族伝承の研究家。
兄とともにゲルマン民族の伝承・童話を集成。「ドイツ語辞典」を編集。1841ベルリン学士院会員となる。著作:「ドイツ英雄伝説」1830。 

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト 医者

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトSiebold, Philipp Franz von 1796~1866 ドイツの医師。
ヴュルツブルク大で医学を学び、1822軍医少佐として東インド会社の入り、ジャワに赴任。’23(文政6)長崎出島のオランダ商館の医官として着任。長崎で診療所兼学塾を開き、医療のかたわら日本の自然・人文資料を集めて研究、高野長英ら多数の門人に自然科学・西洋医学を教えたが、(天保1)帰国にあたり、国禁の地図等を所持していたため、国外追放(シーボルト事件)にあう。オランダに帰り、日本に関する著述を行い、日本とヨーロッパの文化交流に貢献。’56(安政3)再び来日(~’62)。’66ミュンヘンで没。著作:「日本」1832~54、「日本動物誌」’33~’49、「日本植物誌」’35~’70。

リヒャルト・シュトラウス指揮者

リヒャルト・シュトラウスStrauss, Richard 1864~1949 ドイツの作曲家・指揮者。
後期ロマン派から近代にかけてのドイツ楽壇の重鎮。ホルン奏者として知られた父の英才教育の方針に沿って、4歳から個人教授で音楽を学び、6歳で作曲を試みる。1881初演の交響曲以来ブラームス*風の大規模な楽器作品・楽曲で認められ、指揮者としても活躍、’86ミュンヘン宮廷歌劇場の指揮者となる。この時代にF.リスト*・ヴァーグナー*・標題音楽に心酔、一連の交響詩を発表して新しい境地を開拓、のちO.ワイルド*・ホーフマンスタール*らの台本による近代オペラで成功。(作)オペラ「サロメ」1905、「エレクトラ」’06~’10、交響詩「ドン・ファン」1888、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」’95、「ツァラトゥストラはこう語った」’96、「ドン・キホーテ」’97、「英雄の生涯」’98。

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