マイク・ニコルズ 映画監督

マイク・ニコルズ Nichols, Mike 本名 Michael Igor Peschkowsky 1931~アメリカの映画監督。
ベルリン生れ。7歳のときアメリカへ渡り、シカゴ大で学び演劇活動に入る。1963「裸足の散歩」の演出でブロード・ウェーにデビュー、以後「おかしな二人」 (’65)等でヒット作を次々に生んだ。’66映画「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」で監督、翌’67「卒業」でアカデミー監督賞を受賞。話題作に「キャッチ22」 (’70)、「愛の狩人」 (’71)等がある。

パウル・フォン・ハイゼ 作家

パウル・フォン・ハイゼ Heyse, Paul von 1830~1914 ドイツの作家。
ベルリンで古典学・哲学、ボンでロマン語学・美術史を学ぶ。1852哲学の学位を得る。’52~’53 イタリア滞在。’54バイエルンのマクシミリアン2世の知遇を得る。1910ドイツで初のノーベル文学賞受賞。作品は短編「ララビアーク(片意地嬢)」(1855)、長編「現世の子」(’73)等100以上のほか、戯曲70編、詩等多数。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 作曲家

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ Bach, Johann Sebastian 1685~1750 ドイツの作曲家・オルガニスト。
バロック音楽を集大成し、その頂点に立つ作曲家。また当時のオルガンの即興演奏の大家として知られ、17世紀以来多数の音楽家を生み出した一族の中で。大バッハの名でよばれる。父と兄に手ほどきをうけ、1700リューネブルクの聖ミハエル教会合唱団に入り、同附属高等学校で学ぶ。’04アルンシュタット、’07ミューハウゼンの教会オルガニスト、’08~’17ワイマール宮廷オルガニスト・楽長、’17~’23ケーテン公の宮廷楽長を歴任。’23ライプチヒのトーマス教会の合唱長になり、終生この町の音楽指導に尽くす。作品はオペラを除くあらゆる様式にわたり、対位法の極地を示し、宗教音楽ではプロテスタンティズムにあふれている。(作)「マタイ受難曲」1729、「ミサ曲ロ短調」’24~’49頃、「クリスマス・オラトリオ」’34、多数のカンタータ、管弦楽組曲、「ブランデンブルグ協奏曲」’21等の協奏曲、オルガン・クラヴィーア・ヴァイオロン・チェロの独奏曲、「音楽の捧げもの」’47、「フーガの技法」(未完)’50。

ヨハネス・ブラームス 作曲家

ヨハネス・ブラームス Brahms, Johannes 1833~1897 ドイツの作曲家。
少年時代に生地ハンブルクでE. マスゼンにピアノ・音楽理論を学んだ以外、ほとんど独習。15歳からはピアニストとして活動、1853版がr-のヴァイオリニストであるE.レメニーと組んでドイツ各地に演奏旅行、終生の友となる名ヴァイオリニストのヨアヒム*を知る。その紹介でR.シューマン*に会い、将来を嘱望される。シューマンの死後、未亡人クララ・シューマン*の子供たちと終生の交わりを持った。’62ウィーンに出、’63~’64同地のジング・アカデミーの指揮者となり、’72~’75同楽友協会の演奏会指揮者に就任。’72ウィーンに定住、この頃より作曲家としての名声が高まり、F.リスト*・W.R.ヴァグナー*の新ロマン主義とは対象的に、絶対音楽の領域を守ったので<新古典派>とも称される。(作)交響曲4番、ピアノ協奏曲2曲、ヴァイオリン協奏曲、室内楽曲教曲、ピアノ曲・合唱曲・歌曲多数のほか、「大学祝典序曲」「ドイツ・レクイエム」「ハンガリー舞曲」等。

アンネ・フランク作家

アンネ・フランク Anne Frank 1929~194 ドイツ系ユダヤ人としてナチスの迫害をうけたオランダの少女である。
「アンネの日記」(原題「かくれ家」1947)の著者。第2次大戦時ナチスの迫害で2年間アムステルダムに隠れ住み、死の恐怖と絶望感に耐えながら、少女から女へ脱皮してゆく自信の姿を力強くユーモアをまじえて感動的に描写。’44発見されたアウシュヴィッツからベルゲン・ベルゼンの収容所に移り、チフスで病死、父だけ生き残る。

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