ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮者
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー Furtwängler, Wilhelm 1886年~1954年 ドイツの指揮者。
ミュンヘンでM.シリングス*・J.G.ラインベルガーらに作曲を、F.J.モットルから指揮法を学び、チューリッヒ・シュトラスブルク・リューベック・マンハイムでオペラを指揮。1919ウィーン楽友協会の指揮者、ベルリン国立歌劇場の音楽監督となり、’22ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の指揮者に迎えられ、またゲヴァントハウス管弦楽団も指揮、ドイツ楽壇に君臨する存在となった。’34ナチス政権のユダヤ系音楽家追放に抗議してその地位を放棄したが、’35ナチスと妥協して復職。第2次大戦中もドイツ音楽のために貢献、そのため戦後追放されスイスに引退、’49楽壇に復帰。古典派からロマン派にかけてドイツ音楽の指揮者として名演奏を残した。著作:「音楽を語る」1948, 「音と言葉」’54。
ヴィルヘルム・フンボルト 言語学者・外交官
ヴィルヘルム・フンボルト Humboldt, Karl Wilhelm von 1767~1835 ドイツの言語学者・外交官。
①の兄。プロイセン公使として1801~08ローマ,’10ウィーン, ’17ロンドンに駐在。’19プロイセン国務相となったがK.A.ハルンデンベルグ*と対立し辞職。ドイツ人文主義の代表的人物の1人で、シラー*・ゲーテ*・シュレーゲル*兄弟と交際・言語哲学・比較言語学の研究に個性的な業績をあげ、国語は民族性の表現であると考えた。著作:「ジャワ島のカヴィ語研究」(3巻)1837~40、「国家機能領域論」’51。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Beethoven, Ludwig van 1770~1827 ドイツの作曲家。
古典派音楽を集大成しロマン主義の先駆けをなした大家。故郷ボンで父からピアノを教えられ、何人かの師について作曲を学ぶ。1792ウィーンにでてハイドン*・J.G.アルブレヒツベルガー・サリエリ*に師事。’95ピアニストとして公開演奏を行い、作曲家としても認められはじめるが、1798頃より難聴となり、生涯苦しめられる。彼の活動は主にリヒノフスキー・ロプゴヴィツ・キンスキー・ルドルフ大公等の貴族のパトロンにより支えられたが、ナポレオン戦争後は演奏会・楽譜出版の収入比重が増し、市民階級の芸術家に移行。作風も初期に古典派の様式から出発し、1803~12の中期にはロマン主義的要素を開花させたきわめて個性的な様式を確立。晩年の後期には人間性の高次元の内面的美を追求し、音楽芸術の極致に達した。フランス革命の自由主義時代を象徴する存在。(作)オペラ「フェデリオ」1805、交響曲9曲、ピアノ協奏曲5曲、「ヴァイオリン協奏曲」’06、ピアノ・ソナタ32曲、弦楽4重奏曲16曲、他に多くの室内楽・ピアノ曲・声楽曲。
ヘルマン・ヘッセ 詩人
ヘルマン・ヘッセ Hesse, Hermann 1877~1962 ドイツ生まれのスイスの作家・詩人。
牧師の子として生まれるが、神学を断念、店員・工員等をしながら模索時代を送る。この時期の経験は短編「車輪の下」(1906)に発表。’11インド旅行。第1次・第2次大戦に反戦兵はの態度を保ち、ロマン・ロラン*と親交。’19スイスのルガノに移り、’23帰化、終生を過ごす。’46ノーベル文学賞受賞。ドイツ・ロマン主義と古典派の伝統をくむ20世紀市民文学の代表者。叙情的・新ロマン派的傾向から出発し、’04自伝的小説「ペーター・カーメンチント(郷愁)」、終生のテーマでもある霊肉の調和と自己発見を目指す「デミアン」 (’19)、「荒野の狼」(’27)。放浪者物語「クヌルプ」(’15)、仏教の解脱をめぐる「シッダールタ」(’22)、時代批判とヒューマニスチックな精神の、未来小説「ガラス玉遊戯」(’43)等を発表。
トーマス・マン 小説家・批評家
トーマス・マン Mann, Thomas Mann 1875~1955 ドイツの小説家・批評家。
①の弟。リューベック生れ。16歳で父の死およびマン商会の破産に遭い、ミュンヘンに移住。1901長編小説「ブッデンブローク家の人々」により作家としての地位を確立。ショーペンハウアー*・ニーチェ*・W.R.ヴァグナー*の影響のもとに’03「トーニオ・クレーガー」、’13「大公殿下」、’13「ヴェニスに死す」を経て、’24大作「魔の山」(’29にノーベル文学賞受賞)により文学活動の頂点を迎える。第1次大戦当時は兄ハインリッヒ(①)と対立して非政治的・反デモクラシーの立場をとったが、戦後は反ファシズムの態度を明らかにし、ナチス台頭により’33スイスに、’38アメリカに亡命。プリンストン大の客員教授となり、講演やラジオにより、ナチス打倒を訴えた。’33~’43「ヨゼフとその兄弟」4部作、’39「ワイマールのロッテ」、’47アメリカ市民権を獲得。’52アメリカを去りスイスに移住、ドイツ統一を願う諸活動に従事。’54「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」(第1部)の完成後スイスで死去。