フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ 作曲家

フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ Mendelssohn, (Bartholdy) Felix 1809~1847 ドイツの作曲家。
ユダヤ系。裕福な銀行家の家に生まれ、L.ベルガーにピアノ、K.F.シュルターに音楽理論を学ぶ。ベルリンの父の家には音楽家・学者らの名士が集まり、また日曜日にもお抱えの小管弦楽団の演奏会もあったので、早くからそこで演奏をするための交響曲や室内楽を作曲。1829ベルリンのジング・アカデミーでバッハ*の「マタイ受難曲}を復活演奏、バッハ再評価の先鞭をつけた。この年イギリスに演奏旅行、さらに’32までイタリアをはじめ各地を旅行、自作を指揮。’35をゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となり同楽団の世界的名声を確立。のち各地の音楽祭を監督・指揮、ロマン派作曲家の作品の紹介に努めた。自らもドイツ前期ロマン派の作曲家として、R.シューマン*とならぶ存在。(作)交響曲5曲、「ヴァイオリン協奏曲」1844、「真夏の夜の夢」(序曲)’26・(付随音楽)’42、ピアノ曲集「無言歌集」8巻、オラトリア「エリア」’46。

マルティン・ルター宗教改革者

マルティン・ルター Luther, Martin 1483~1546 ドイツの宗教改革者。炭鉱労働者から中産層に?
父の配慮でエアフルト大を卒業。友人の死と落雷?から死を思い、1550修道院に入る。’11ヴィッテンベルク大教授として神学を深め、ついいキリストによる罪?をずるだけで救われると確信した。’17教会?罪符(資金調達手段)の無意味と不当をつく「95条の意見書」を公表し、宗教改革の口火をきった。?側のハイデルベルク・ライプチヒで論争。’20「キリスト者の自由」等を公刊、’21ヴォルムス国会に召喚され?<私はここ以外に立ち得ない>とし、自己の立場を?法の保護を奪われた。サクセン公の保護をうけ、聖書をドイツ語に訳す。<諸君が全力を尽くして教皇の支配を?去らなけらば諸君は救われない>と教えたが、農民?際しては後半とみに反動的態度をとった。神の?原論は教会と国権との並立を容認し、結果的?に利用されるところとなった。ルター主義は、その後ドイツのエトスを形成した。著作:「ルター著作集」18?イマール版)。

パウル・ロイター 通信事業者

パウル・ロイター Reuter,Paul Julius, Freiherr von 旧名Israel Beer Josapha 1816~99 イギリスの通信事業者。
ドイツのカッセル生まれ。1840アーヘンに電報通信社を設立。’51ロンドンにロイター通信社の本部を置き、イギリスに帰化。

リヒャルト・ヴァーグナー 作曲家

リヒャルト・ヴァーグナー Wagner, Wilhelm Richard Wagner 1813~1883 ドイツの作曲家・楽劇の創始者。
1831ライプツィヒ大法学部に在籍中、トマス教会の合唱長T.ヴァインリヒから作曲を学ぶ。はじめてマイアーベーア*風のグランド・オペラから出発し、’40オペラ「リエンツィ」で成功、’41「さまよえるオランダ人」、’45「タンホイザー」、’48「ローエングリン」で前期ヴィグリネズムを完成。’49ドレスデン騒動に加担してその後失敗、バクーニン*ととも亡命。スイスで’49「芸術と革命」、’50「未来の芸術作品」、’51「オペラとドラマ」等の論文で独自の総合芸術論を展開。それ以後、’53~’74「ニーゲルングの指輪」4部作、’59「トリスタンとイゾルデ」等の楽劇を完成。ドイツ・ロマン派オペラの頂点を築く。’76バイロイトに自らの楽劇上演のための独特な構造をもった祝祭劇場を完成。ヴァーグナー 芸術の聖地とした。

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