旧石器時代の村落跡は、キルギス全土で見られます。紀元前8世紀頃から中央アジアの草原地帯で活動していた強力な遊牧国家サカ族(スキタイの一派)の墳墓群があり、イシク・クル湖から青銅器などが発見されています。 紀元前後には、漢の武帝が娘を送り政略結婚をさせたほどの勢力のある騎馬民族烏孫がいました。イシク・クル湖底に沈む集落跡は、サカ族のものとも、烏孫のものともいわれています。 6世紀、烏孫は消え、トルコ族遊牧国家突厥が建設されました。中国の玄奘三蔵の書には、インドに行く途中イシク・クル湖岸をとおり、砕葉城で突厥の王に会ったと書いてあります。その後カラハーン朝の都バラサグンの都邑ができましたが、モンゴルの侵入で廃墟となりました。 一方、アルタイ地方のエニセイ川上流域で暮らしていたキルギス人は、16世紀には移動をほぼ終え、天山山脈のこの地に住むようになりました。この頃から、現在のキルギスでのキルギス人の歴史が始まったのですが、この地に落ち着いたとはいえ決して平穏ではありませんでした。中国清朝の支配を受けたり、19世紀の初めにはコーカンド・ハーン国の圧政に耐えかねてロシアの援助を求め、結局19世紀末には帝政ロシアの支配下におかれました。
10万年前 | サマルカンド地方に人類定住跡 |
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30万年前 | 天山山脈に人間が住み始める |
BC 13~8C | 南部に古代の町ができる |
6~3C | 北部にサカ族の部族社会出現 |
139 | 漢の張騫、大月氏に向けて出発。帰国後、大宛(現在のフェルガナ盆地)の汗血馬について武帝に報告 |
2~1C | エニセイ川上流にキルギス人の部族社会出現 |
AD 7C | 唐の玄奘がインドに向けて出発し、イシク・クル湖、砕葉城に立ち寄る |
9~12C | キルギス人の勢力が強まり、ウイグル国を征服。その後天山地方に移動を開始する |
10~11C | カラハーン朝の首都バラサグンが栄える |
12C | 遼の耶律大石がチュイ川畔に移り、西遼(カラキタイ)を建設 |
1218 | 西遼、チンギス・ハーンに破壊される |
16C | キルギス人が、現キルギスの地で暮らすようになる |
18C | キルギス地方、中国清朝の支配下に入る |
19C | キルギス地方、コーカンド・ハーン国の支配下に入る |
1876 | 帝政ロシアの支配下に入る |
1918 | ロシア革命後、ロシア共和国内の「トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国」の一部となる |
1924 | ソ連のロシア共和国内の「カラ・キルギス自治州」となる |
1925 | 「キルギス自治州」に名称変更 |
1926 | 自治州をキルギス・ソビエト社会主義共和国に格上げ |
1936 | ロシア共和国から切り離し、「キルギス・ソビエト社会主義共和国」を創設、連邦構成共和国としてソ連に加盟 |
1990 | 共和国主権宣言(12月12日) |
1991 | ソ連解体。キルギス共和国が独立 |