エドヴァルド・ムンク画家
ムンク Munck, Edvard 1863~1944 ノルウェーの画家・版画家。
オスロのデザイン学校に学ぶ。1909でパリ・イタリア・ドイツへの旅行を繰り返し、ゴッホ・ゴーギャンの影響をうけ、ストリンドベリとも交遊。ノルウェーの風景画と人物像が多い。青年、とくに思春期の性の不安をカンヴァスに定着させたことで知られるが、それは同時に世紀末の不安の鋭い表白でもあった。ドイツおよびスカンディナヴィア表現派に影響を与えた。(作)「叫び」1893、連作「生命のフリーズ」
ロアール・アムンゼン探検家
アムンゼン Amundsen, Roald 1872~1928 ノルウェーの探検家・南極点の初到達者。
小船主の子。ナンセンのフラム号による北極探検に刺激され、1897~99ベルギーの南極探検に参加。1903~06自ら北西航路の探検隊を組織、ロスの発見した北磁極を確認してベーリング海峡に達する。’11南極点初到達。この探検は同時に南極をめざしていたスコットとの競争で有名。’25エルズワースらと飛行艇で北極飛行をめざすが失敗、’26エルズワース・U.ノビレらと飛行船ノルゲ号で北極を横断。’25来日。’28北極方面で消息を絶ったノビレらの救援のため飛行機でノルウェーを発ったまま消息を絶った。(著)「北西航路」1907、「南極」’12、「北極海の初横断飛行」「探検家としての私の半生」’27。
ヘンリック・イプセン劇作家
イプセン Ibsen, Henrik 1828~1906 ノルウェーの劇作家、近代劇の確立者。
父の破産により暗い少年時代を送る。1864~92祖国に失望した海外で活動。初めはロマン主義的な作風であったが(「ブラント」等)やがて自然主義的な一連の家庭劇・社会劇を発表。とくに’79「人形の家」は婦人解放の思想とともに全世界に影響を与えた。しかし彼は’82「民衆の敵」に示されるように、真理と正義のために孤高の闘いを続ける自由思想家であって、大衆運動とは結びつかず、’84「野鴨」に至って一種の諦観的態度をあらわすが、そこには愚かな民衆に対する皮肉がみられる。(著)「ペール-ギュント」1867、「幽霊」’81、「ヘッダ-ガーブレル」’90。
エドヴァルド・グリーグ作曲家
グリーグ Grieg, Edvard Hagerup 1843~1907 ノルウェーの作曲家。
スカンディナヴィアの国民主義音楽の大家。ライプチヒ音楽院で学び、ドイツ-ロマン派のF.メンデルスゾーン・R.シューマンに傾倒したが、1864リカルド-ノルドラークを知り、その影響で国民主義音楽の創造を志す。イタリア旅行の後、’67ノルウェー音楽アカデミーを設立、自国の音楽の育成にのりだす。’69ピアノ協奏曲によって作曲家としての名声を確立、’74ノルウェー政府より年金を支給され、作曲に専心。この年から翌年にかけてイプセンの劇「ペール-ギュント」に作曲。その後ドイツ・イギリスで自作の上演をするほかはベルゲン近郊のトロルドハウゲンで作曲に専念した。室内楽・ピアノ曲・歌曲にもすぐれた作品が多い。(作)「イ短調ピアノ協奏曲」1868。
リヴ・ウルマン女優
ウルマン Ullman, Liv 1939~ ノルウェーの女優。
父の仕事の関係で東京に生れる。ロンドンで演劇を学び、オスロの舞台に立ったが、ベルイマン監督の知遇を得てスウェーデンで仕事をすることが多い。「ペルソナ」(1966)、「狼の時間」(’67)、「叫びとささやき」(’72)、「ある結婚の風景」(’74)、「秋のソナタ」(’78)等に主演。(著)自伝「変貌」1977、「選択」’84。
フリチョフ・ナンセン探検家
ナンセン Nansen, Fridtjof 1861~1930 ノルウェーの探検家・動物学者・政治家。
1888グリーンランド初横断。’93~’96フラム号で北極海を漂流、船をO.スヴェルドルップに委ねて北極をめざし、北緯86º14´に達したのち、橇(そり)でゼムリャフランツァヨシファに帰還。1905ノルウェーの独立に際して活躍、’06駐英公使。’17食糧問題交渉のため渡米。第1次大戦後は国際連盟の設立とノルウェーの加盟に努力、連盟を通じて捕虜帰還・難民救済、ソ連の飢餓救済等に奔走。’22ノーベル平和賞受賞。(著)「スキーでグリーランド行」1890、「フラム号漂流記」「最北」(2巻)’97、「ノルウェーの北極遠征1893~96」(6巻)1900~06。
アルマウェル・ハンセン医学者(ハンセン病の発見者)
ハンセン Hansen, Armauer Gerhard Henrik 1841~1919 ノルウェーの医師。
ベルゲン大で医学を学び、1868ベルゲンの癩(らい)病院に勤務、’75同院長。’79癩菌を発見。(著)「癩病の病理学」1871、「癩菌研究」’82。