アレクサンドル・プーシキン 作家
プーシキン Pushkin, Aleksandr Sergeevich 1799~1837 ロシアの詩人・作家。
モスクワの没落貴族の子。ツァールスコエ-セロ-リツェー卒。1817「自由」、’18「農村」等の詩で専制政治を批判して、首都ペテルブルグを追われ、南ロシアを放浪、不遇のうちに’20「ルスランとリュドミラ」、’21「カフカスの捕虜」、’25「ジプシー」等の傑作を著す。’24ミハイロフスコエ村(プスコフ県)に幽居、’24~’25悲劇「ボリス-ゴドゥノフ」、’23~’31自伝的物語詩「エヴゲニー-オネーギン」を書く。デカブリストの友人で、「シベリアへ」「アリオン」(’27)でその革命運動への共感を示す。’31許されて首都に帰り、晩年は散文・歴史小説に関心をもち、’30「ベールキン物語」、’33~’34「プガチョフ反乱史」、‘34「スペードの女王」、’36「大尉の娘」、遺稿叙事詩「青銅の騎士」等の作品を残す。若く美しい妻ナターリアをめぐる宮廷スキャンダルの犠牲となり、フランス人将校ダンテスとの決闘で倒れた。死後、ベリンスキーにより高く評価され、ロシア近代文学の父と仰がれる。(著)「全集」(16巻、アカデミー版)1937~49。
ニキータ・フルシチョフ 政治家
フルシチョフ Khrushchyov, Nikita Sergeevich 1894~1971 ソ連の政治家。
クルスク県の炭坑労働者の子。ドンバスで板金工として働き、1918共産党員。モスクワ産業大卒。’35~’38党モスクワ地方委員会書記、’38~’49ウクライナ第1書記、’53スターリンの死後、その後継者として中央委員会第1書記となる。’56第20回党大会で<スターリン批判>を行い、従来の党路線を大幅に修正、米ソ共存外交を推進、これは内外の論争を呼び、中ソ対立に発展した。’58反対派を追放、首相を兼任。党機構改革と農業政策で失敗し、’64失脚、政界を引退した。
モデスト・ムソルグスキー 作曲家
ムソルグスキー Musorgskii, Modest Petrovich 1839~81 ロシアの作曲家。
陸軍士官学校卒。初め軍務についたが、1857バラキレフを知って指導をうけ、ロシア国民楽派の<5人組>の一人として知られる。地主階級出身のため、’61の農奴解放以後経済的に苦しくなったが、生涯定職らしいものにつかず、ボヘミアン的生活を続け、飲酒からくる神経病の悪化で死去。作風は<5人組>が先輩と仰いだダルゴムイシスキーのデクラメーション様式とドラマチズムを発展させ、国民楽派のなかでも最もロシア的なリアリズムを完成。(作)オペラ「ボリス-ゴドゥノフ」1874、「ホヴァンシチーナ」(未完)、交響詩「はげ山の一夜」’67、ピアノ曲「展覧会の絵」’74、歌曲集「子供部屋」’72、「死の歌と踊り」’77、歌曲「のみの歌」’79。